怠惰の極み人
怠惰の極み人
それは、私である。
何もかもが面倒くさいのだ。
世の中、本当に面倒くさいことばかりである。
まず食事が面倒くさい。
毎日、3食食事をしなければならないのである。
非常に大変である。
世間の人は、よく3食食事を続けられていると感心する。
食事はつまらないのである。
人と一緒に食事をしていると、つまらなくない。楽しい時間である。
会話が楽しいのだ。
しかし、私は一緒に食事に行けるような人は、身近にいないので、いつも1人で食事する。
苦行である。
だから3食食事は、なかなかできない。
食事することは、非常に面倒くさいのだ。
次に面倒くさいのは、睡眠だ。
なぜ、夜になると寝なければいけないのか。
私は、日頃、全く何もせず、ぐうたらしているので、疲れないのである。
疲れないから、眠くならない。目玉はランランとしている。
眠れない夜は苦痛なのである。
時が永久に感じ、暗闇に飲み込まれるような恐怖感に包まれるのだ。
もし、私が、売れっ子芸人であれば、昼間は収録や取材で忙しく、夜はラジオ番組をやり、寝たくても眠れない状況だったはずである。
しかし、残念ながら、私は無名の売れない芸人である。もはや自称芸人である。
仕事がないので、全くすることがないのだ。
少しでも努力しろよっと、自分でもそう思うのだが、私は究極の怠惰、怠惰の極み人なのだ。
何か努力できるはずがないのだ。
世の中、不条理である。
最後に、面倒くさいのは、会話である。
人間がこの社会で生き抜くには、会話は不可欠である。
人類は全生物の中で、会話、そう、コミュニケーション能力を進化させ、この地球の覇者となった。
会話が人類の、大自然に立ち向かう、唯一にして、最強の武器なのだ。
私は、その会話が面倒くさく感じてしまう。
なぜなら、私は人から褒められる生き方をしていない。
夢に向かって努力を全くしないで、夢ばかりを語って、さも自分がまだ理解されていないだけの大物であるかのごとく振る舞う私を、誰が褒めるだろうか。
私は、まだ認知されていないだけの大物なので、見下されるのは嫌のである。
だから、私は、外に出たくないのである。
人と会いたくないのである。
会話なんか嫌なのである、
私がいかに怠惰な人間か分かっていただけたであろうか。
神がいるなら、どうか、この、惨めな私を、救ってください。