Wow!信州人♡長野から天下を取る フリー芸人のブログ

長野県内を行く当てもなく彷徨っている26才男芸人です。人生という大海原でもがき苦しんでいます。

バッハのG線上のアリア

チコリのクラシックチャンネル!

今掛かっているのは、バッハの『G線上のアリア。』

なんか、バッハってさ、ガンコな音楽オタクみたいだよね

気難しいそうなカンジー

曲から、バッハの真面目な人柄が伝わってくるよ。

几帳面で寡黙な人、さっすが音楽の父みたいなー

この曲は、なんかファミコン時代のRPGの教会のBGMって雰囲気がありますね。

眠くなってくるようなゆったりなリズム。

あまり主張しない淡いメロディー。

楽器は、ヴァイオリン、フルート、ギターなのかなぁ。

心に平穏を訪れさせる『G線上のアリア』でした。


命を燃やす

今日も、本当につまらない1日だった。

部屋の掃除でもしようと思っていたが、結局やらなかった。

気づけばもう夜の9時だ。

今日1日で私が残したもの…何もなし。

今週一週間で、私がやったこと…何もなし。

この一年で、私が達成したこと…何もなし。

私の人生は、一体何のためにあるのだろうか。

だらだら毎日を過ごしてきて早26年。

今後も一生グダグダゴロゴロしていくのであろう。

こんな生き方のために、私は生まれたのだろうか。

この限りある寿命を、こんな生活で燃やしてしまっているのか。

命は燃えているのである。

人は皆、命を燃やして生きているのである。

命とは、他人のために燃やすものである。

私の人生はあと50年はある。

命に手遅れということはない。

人のために生きたい。

恵まれない子供達のためにこの命を燃やしたい。

でも、きっと何もやらないであろう。

変わることはできないだろう。

なぜなら私は、グダグダ星人だから。





フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』

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めっちゃ日本人ウケする顔じゃないですか

数ある美術作品の中でも、ダントツの可愛さ、可憐さ

マジこんな子と結婚したい

結婚といえば、私は結婚できるのだろうか。

マジで引きこもり生活ですよ

あまり言葉を発しないですよ。

友達いない

女の子とほとんど話せないよすぐ緊張するから

仕事してない。

一応、芸人ですけど、芸人として稼げた金額0円ですよ

誰か仕事を〜下さい





我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか

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ゴーギャンの大作です。

『チコリの何てったて美術作品』

ゴーギャンは、常に苦悩していました。

その苦悩が、ピークに達したときの作品だそうです。

何もできない赤ん坊時代

活力のある青年期

そして死に怯える老人期

大きく3つのパートがありますね


私も苦悩しています。

人生をやり直したい苦悩

このままの人生で良いのかという苦悩

この先には何が待ち受けているのかという苦悩

大きく3つのパートです。





モーツァルトのトルコ行進曲

クラシックの曲をよく聞いて精神を落ち着かせています。

楽曲に込められたエピソードや作曲家の生い立ちなどは全く知らない私が、単純に曲の感想を徒然書きます。

題して、『チコリのクラシックチャンネル』

第一弾は、今掛かっている音楽。


誰もが一度が聞いたことのある曲ですね。

ピアノ曲ですね。

早いテンポですね。

弾くのは難しいそう。

思わず、軽やかなステップを踏んでしまうわ。

サビっぽいところは、心が救われるほど洗練されたメロディーだわ。

Eテレ50周年記念コンサートでは、まだ新米のたくみお姉さんとだいすけお兄さんが、おかあさんといっしょの歴史をこの歌に合わせて歌ったんだよなぁ。

たくみロス悲しい。

たくみ熱愛報道はもっと悲しい。ロスト…

1人の時に聴いていると、自分の内側から、エネルギーを活性化させ、おーし、やってやるぞーっと思わせてくれるような一曲でした。

ありがとう、モーツァルト






マネの『笛を吹く少年』

美術作品を全く無知の私が独断と偏見を交えて、徒然語る新コーナー

『チコリの何と言っても美術作品!』

記念すべく第一回は

エドゥワール・マネの『笛を吹く少年』

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多分誰もがなんとなく見たことある。

あまり開くことのなかった、しっかり読むことのなかった美術の教科書にきっと載っていました。

マネの作品の中でもかなり有名でしょう。

マネは19世紀後半 印象派とされる画家の中心的存在だったそうです。

印象派とは、光や影を絵に落とし込み一瞬の美しさを表現しているのが特徴です。

さて、この絵の少年。

なんとも生意気そうで、ずるそうで、憎たらしい表情をしているのでしょうか。

1発ぶん殴って、大人をなめるな!っと、ドヤしつけてやりたくなりますよね。









怠惰の極み人

怠惰の極み人

それは、私である。

何もかもが面倒くさいのだ。

世の中、本当に面倒くさいことばかりである。

まず食事が面倒くさい。

毎日、3食食事をしなければならないのである。

非常に大変である。

世間の人は、よく3食食事を続けられていると感心する。

食事はつまらないのである。

人と一緒に食事をしていると、つまらなくない。楽しい時間である。

会話が楽しいのだ。

しかし、私は一緒に食事に行けるような人は、身近にいないので、いつも1人で食事する。

苦行である。

だから3食食事は、なかなかできない。

食事することは、非常に面倒くさいのだ。

次に面倒くさいのは、睡眠だ。

なぜ、夜になると寝なければいけないのか。

私は、日頃、全く何もせず、ぐうたらしているので、疲れないのである。

疲れないから、眠くならない。目玉はランランとしている。

眠れない夜は苦痛なのである。

時が永久に感じ、暗闇に飲み込まれるような恐怖感に包まれるのだ。

もし、私が、売れっ子芸人であれば、昼間は収録や取材で忙しく、夜はラジオ番組をやり、寝たくても眠れない状況だったはずである。

しかし、残念ながら、私は無名の売れない芸人である。もはや自称芸人である。

仕事がないので、全くすることがないのだ。

少しでも努力しろよっと、自分でもそう思うのだが、私は究極の怠惰、怠惰の極み人なのだ。

何か努力できるはずがないのだ。

世の中、不条理である。

最後に、面倒くさいのは、会話である。

人間がこの社会で生き抜くには、会話は不可欠である。

人類は全生物の中で、会話、そう、コミュニケーション能力を進化させ、この地球の覇者となった。

会話が人類の、大自然に立ち向かう、唯一にして、最強の武器なのだ。

私は、その会話が面倒くさく感じてしまう。

なぜなら、私は人から褒められる生き方をしていない。

夢に向かって努力を全くしないで、夢ばかりを語って、さも自分がまだ理解されていないだけの大物であるかのごとく振る舞う私を、誰が褒めるだろうか。

私は、まだ認知されていないだけの大物なので、見下されるのは嫌のである。

だから、私は、外に出たくないのである。

人と会いたくないのである。

会話なんか嫌なのである、

私がいかに怠惰な人間か分かっていただけたであろうか。

神がいるなら、どうか、この、惨めな私を、救ってください。